「京の菓子文化」の選定にあたって

日本における菓子の歴史は、古代人が採取して食していた「久多毛能(果物)」や「古能実(木の実)」が始まりとされる。その後、唐や宋、元、明のほか、イスパニアやポルトガルなどの外来文化の影響を受けながら、日本人の持つ知恵と美意識を成熟させ、独自の菓子文化を発展させてきた。

京都は、平安京遷都以来、千有余年の永きにわたり都が置かれ、日本の政治・文化・宗教の中心地として栄えた。また、山紫水明の京都は、豊かな地下水に恵まれるとともに、周辺地域から質の高い原料が集まるなど、菓子作りにとって優れた環境に恵まれていたといえる。

京の菓子は、二十四節気(にじゅうしせっき)をはじめとする季節の移ろいをことさら大切にする精神性のもとに育まれ、さらに、茶の湯の発展とともに洗練を極め、旬の素材を使うだけでなく、意匠で季節を先取りして表現するものとなった。また、古典文学や年中行事などにちなんだ銘がつけられるようになると、味覚や触覚、嗅覚、視覚のみならず、聴覚を含む「五感」で楽しめるものとなった。菓銘(かめい)から情景を思い浮かべ、五感で楽しむ文化は、京の菓子文化が持つ格別の魅力である。

こうした菓子文化は、もともと上流階級だけのものであったが、やがて時代とともに町衆にも広がりをみせるようになった。そのため、多様な需要に応えようと、茶席菓子や婚礼祝儀菓子などを扱う菓子司のみならず、日常に食す餅菓子を扱う菓子屋も生まれ、京都に多様な菓子の作り手が発展していくこととなった。

四季折々の美しい情景を映し出した菓子は、季節や年中行事に思いを巡らせるとともに和の文化を楽しむことを思い起こさせ、日々の暮らしの中で単なる食べ物にとどまらない役割を果たしている。また、菓子のあるところには会話があり、人と人との間に和やかな雰囲気をもたらす。京の菓子文化には、次の季節を待つ楽しみを家族や友人、客人と分かち合い、会話を弾ませる心遣い、おもてなしの精神が受け継がれている。

戦後の近代化や生活の洋式化などにより、日本人が培ってきた伝統文化や季節感の大切さが見失われがちとなっている。また、SNSをはじめ、対面によらないコミュニケーション手段の多様化が進み、人と人とのつながりの希薄化など、家庭や地域、職場などでのコミュニケーションの有り様も問われている。こうした現状を踏まえ、人と人とのつきあいの中で、季節や年中行事とともに日本の心をつないできた菓子の役割をいま一度見直す必要がある。

お茶とともに菓子を味わい、季節を感じ、コミュニケーションを楽しみ、心をつなげる。京都で育まれた菓子の文化が未来へとつながっていくよう「京の菓子文化-季節と暮らしをつなぐ、心の和(なごみ)」を“京都をつなぐ無形文化遺産”に選定する。

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