京都では、今でも8月24日前後の土日を中心に各町内で地蔵盆が盛んに行われています。なぜ京都ではこのように地蔵盆が盛んなのでしょうか?
これには様々な理由があるといわれていますが、まず確認しておくべきことは、京都では各町内にお地蔵さんが祀られた祠があるということです。
なぜ京都には各町内にお地蔵さんが祀られているのでしょうか?
これには大きく二つの理由があるといわれています。
一つ目の理由は、京都では昔から火災が頻発しており、火災から町内を守るために火除け地蔵が辻々に置かれていたということが挙げられています。京都の民家の台所にはたいがい愛宕山(神社)の火除けのお札が貼られていますが、これは愛宕大権現が火除けの神様だからです。そして神仏習合の風習から愛宕大権現と火除け地蔵がセットで信仰されており、各町内に火除け地蔵が置かれたと考えられています。
二つ目の理由は、江戸時代の京都では通りを挟んで両側の家々が一つの町内(両側町)を形成しており、夜になると通りの出入り口にある木戸が閉められて悪いものが入ってこないようにしていたことが挙げられます。お地蔵さんは、木戸の傍に置かれて、外から悪いものが入ってこないようにしてくれると信仰されていたのです。
更に、江戸時代の京都の白川の上流では、石像を作ることに適している良質な花崗岩がたくさん採れたことも後押ししたようです。
江戸時代の京都では、このようなお地蔵さんを囲んで「地蔵祭」が盛んに行われていたという記録が残っています。神仏習合の時代にはお盆の行事というよりもお祭り的な感覚だったようです。
京都では、江戸時代になる前から8月22日・23日に六地蔵巡りが盛んに行われていたことも知られています。これは、京都に出入りする街道沿いの寺院に祀られている六体のお地蔵さんを二日間のうちにお参りするとご利益があると信じられていた風習です。京都に悪いものが入ってこないように六地蔵にお祈りし、更に各町内に悪いものが入ってこないように町内のお地蔵さんを囲んでお祭をする。このような関係があったのかもしれません。
明治維新になると国から神仏分離令が出され、廃仏毀釈の運動が一時盛んになりました。仏としての町内のお地蔵さんも廃棄すべきだという動きが広まり、京都の人々はやむなく地蔵祭を取りやめ、川の底にお地蔵さんを沈めたり、山にお地蔵さんを埋めたりしたそうです。そして廃仏毀釈の動きがおさまった頃、京都の各町内では、お地蔵さんを川や山から取り出してきて再度町内にお祀りして「地蔵盆」として復活させたのです。
このような辛い歴史を乗り越えて現在まで続いている地蔵盆の文化は、まさに京都ならではのものだといえるでしょう。京都以外にも近畿地方を中心に地蔵盆が行われているところはありますが、市内のほとんどの町内で地蔵盆が行われているのは京都だけです。
この貴重な地蔵盆の文化を後の世代に末永く残したいものですね。
鷲頭 雅浩(前京都市東山区長)