「京の食文化」の普及こそがこれからの食生活には一番大切
2014年5月30日
京都料理組合組合長/山ばな平八茶屋当主 園部 平八
園部平八は西暦1576年(天正4年)創業の「山ばな平八茶屋」の19代当主の長男として生まれました。平八茶屋は若狭街道の「街道茶屋」として発祥し、以後江戸初期には「萬屋平八」、江戸中期には「麦飯茶屋」を営み「旅籠」を経て「料理屋」となる。
明治初期、小浜から京都の間に鉄道が引かれ今まで若狭街道を通じて一塩のぐじや鯖、一夜干しのかれいが直接都の中央に運ばれ、若狭街道はすたれました。この頃一五代当主は今まで若狭もので商売をしていた料理屋を川魚料理専門店として営業を(以後19代目まで100年間)続けました。20代目園部平八はこれからの時代に川魚料理の衰退を悟り川魚料理専門店から若狭懐石(ぐじ主体の料理)と川魚料理の二本柱を中心にした料理屋として変革し現在に至っております。
現在では世界中の食材がいつでも新鮮なまま手に入る時代になりましたが、私は地産地消にこだわり、日本海で獲れる一塩の若狭ぐじと地元で取れる京野菜を中心に使い、京料理の素材の味を味わうを基本に又、忠実に具現化しそして「時代に迎合しないで時代に必要とされる料理」を追求しつつ現在に至っております。
平八茶屋の名物は「麦めしとろろ汁」でこの伝承料理は創業以来の名物で、平八茶屋の料理の根幹をなしています。「100年前にも平八は麦飯とろろ汁を提供してきたし、100年後の人達にも平八の麦めしとろろ汁を味わって頂きたい」と後継者は引継いで伝承していくでしょう。新しい試みで甦ったぐじを主体とした「若狭懐石」と創業以来の伝承料理「麦めしとろろ汁」は私の料理へのこだわりの真骨頂です。
昨年12月4日、ユネスコ無形文化遺産に「和食:日本人の伝統的な食文化」が登録され、日本は元より世界各国が日本の「和食」を認めました。それを遡ること2ヶ月前には、京都市の「京都をつなぐ無形文化遺産」の第一号に「京の食文化」が選定され、脚光を浴びました。この「京の食文化」の普及活動に京都料理組合は、京都市とともに進めてゆきたいと思っております。
その中でも京都料理組合の料理人達は、特に「朝ごはんの一汁三菜のおかず」を若い親御さん方(35歳~40歳代)とともに作り、若い親御さん方が週に1日~3日の和食の朝ごはんを食べる習慣を養い、そして家族全員で食べる習慣を身に付けて頂きたいと思います。
家族全員で朝ごはんを食べ、食卓を囲むということは、今までは死語になりつつある「一家団欒」の復活にもつながると信じております。
「京都をつなぐ無形文化遺産」の第1号として選定された「京の食文化」の普及こそが、これからの食生活には一番大切ではないかと思います。