400年を迎える京の台所「錦市場」
2014年9月16日
京都錦市場商店街振興組合理事長 宇津 克美
錦市場は、2015年に400年を迎えます。秀吉の天下統一後に出来た魚鳥市場が起源とされており、この地には清涼な地下水の水脈があり、魚鳥の貯蔵に適していることから、御所へ魚鳥を納入するために自然に市場ができたと謂われています。
その後、錦市場には、元和元年(1615年)に江戸幕府から魚問屋の称号を受け、鑑札を得て独占的な商いをする店(たな)が生まれました。
当時は、三店魚問屋といわれ、京都の魚を全て卸していました。しかし、明治に入り自由競争の時代になると、市場は混乱を極め、三店魚問屋も寂れ、昭和2年には全国に先駆けて七条に京都中央卸売市場が開設され、錦の魚屋の半数が中央卸売市場に移転しました。残った店と新しく錦に入った店とで錦栄会を結成し、「京の台所」として再出発をしました。これを契機に「量から質への商い」に転換を図ったことで、より質の高い商いにこだわり、「京の食文化」の担い手として今日の活況を取り戻しました。
錦が今日まで繁栄し「京の台所」として皆様に愛されてきたのは、錦がブランドを守り続けてきたからに他ありません。錦ブランドとは、一口で言えば「水」と「食へのこだわり」だと考えます。錦の店は皆、独自の「顔」と「味」を持っており、京都の人の気質が生んだ食へのこだわりこそが錦のブランドであるといえます。
これから先、錦市場にとって大きな課題は「錦ブランド」の継承であります。錦らしい「こだわりの店」から全く業態の異なる業種店の進出も見られ、「錦」にふさわしくない異業種の出店や観光地化に伴う「錦らしさ」の喪失の危機感の中で、錦市場のブランド力の継承維持とさらなる繁栄を目指して、平成15年京都市の指導のもと「錦にぎわいプロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクトの中核が、テナントミックス事業(地権者と出店希望者とのお見合い)であり、このテナントミックス事業も早10年が経過しましたが、今一度にぎわいプロジェクトのスキームを見直す時期にきています。来年400年に向け、京都市の協力をいただいて見直し作業に取り組んでまいります。
錦の食文化に関連する事業として、錦を生誕の地とする江戸中期の画家・伊藤若冲は絵師であると同時に、”命がけで錦を守った”という史実により、生誕地跡にモニュメントを設置しました。このことは、今日まで錦が数々の危機に遭遇した際の先人たちの努力を顧みる事にもつながります。
そのほか、「錦」は食文化だけでなく、地域の活性化につながる文化の紹介にも積極的に取り組んで次世代につなげて行きたいと考えています。