京都を彩る年中行事

季節を彩る年中行事

私たちの暮らしを彩る年中行事の代表的なものに「節句」がある。「節」は季節の節目を意味し、「節句」とは、季節の節目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を祓う行事のことで、「節供」ともいう。

人(じん)日(じつ)(1月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(たなばた)(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)の5つを五節句※といい、古代中国では、奇数(陽)の重なる日は、めでたい反面、陰に転じやすいとされ、邪気を祓う行事が行われてきた。

こうした中国の暦法と風習が日本に伝わると、日本古来の儀礼や祭礼などと結びつき、宮中で邪気を祓う行事が催されるようになった。

当初は宮中や貴族社会で行われていたが、江戸時代に「五節供」が式日(現在の祝日)に制定されてから、民間に広がっていった。明治になって「五節供」は廃止されたが、今でも私たちの暮らしの中に定着している。

五節句のほかに季節の節目として二十四節気がある。太陽の黄道(こうどう)上の視位置によって15度ごとに24等分し、約15日ごとに分けた季節のことである。1年の長さが12の「中気」と12の「節気」に分類され、立春や秋分、冬至など、季節を表す名前がつけられている。

古代中国では、月の満ち欠けに基づいた太陰暦が使われていたが、太陰暦は太陽の位置と無関係なため季節の間にズレが生じていた。農作業などでは春夏秋冬の季節を正しく知る必要があるため、中国の戦国時代に太陽の動きを基に二十四節気が考案され、日本では江戸時代から広く使われている。とりわけ三方を緑豊かな山々に囲まれ、鮮やかに季節が移ろう京都では、二十四節気によって、豊かな自然を暮らしに織り込み、共に生きる暮らしの文化を培ってきた。

二十四節気のほか、節分や彼岸など、季節の移り変わりを表す雑節がある。これは生活や農作業に照らし合わせてつくられた日本独自のもので、いまも暮らしの中に溶け込んでいる。

※五節句

人日:中国では、正月元旦は鶏、2日は狗(犬)、3日は羊、4日は猪、5日は牛、6日は馬、7日は人の日として、それぞれの吉凶を占い、7日の人の日には邪気を祓うために、七草の入った粥を食べ、一年の無病息災を祈ったとされる。

上巳:中国では、上巳の日に、川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣があった。一方、日本の貴族社会では、「雛遊び(ひいなあそび)」というものがあり、両方の習慣が結びついて、男女一対の「ひな人形」に子どもの幸せを託し、ひな人形に厄を引き受けてもらい、健やかな成長を願うようになった。なお、京都では、古式に倣い、男雛を向かって右、女雛をその左に並べるのがならわしとされる。

端午:中国では、この時期は雨季にあたり、盛りを迎える香り高い菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)が邪気を祓うとされたことから、蓬で作った人形(ひとがた)を軒に飾ったり、菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に浸かって邪気祓いをしていた。平安時代に宮中に取り入れられ、江戸時代になると、菖蒲が武を尊ぶ尚武(しょうぶ)に通じることから、武家の行事となり、さらに男児の健やかな成育を祝う行事へと変化した。

七夕:中国に古くから伝わる、牽牛(けんぎゅう)星(せい)(わし座のアルタイル)、織女(しょくじょ)星(せい)(こと座のベガ)の伝説に基づいた星祭りの説話と日本古来の農耕儀礼や祖霊信仰が結びついたと言われる。竹竿に糸をかけて裁縫や習字の上達を星に祈るとかなえられるという、中国の乞巧奠(きっこうでん)の習わしがあり、平安貴族たちが、これをまねて、梶の葉に歌を書いたのが始まりとされ、京都の旧家などではその伝統が残っている。

重陽:陽数の極である「九」が重なることから重陽という。中国では奇数を陽の数とし、陽の極である9が重なる9月9日は大変めでたい日とされ、菊酒を飲んだりして邪気を祓い長命を願うという風習があった。平安時代の初めに日本に伝わり、宮中では観菊の宴が催された。日本独自の風習「菊の着(きせ)綿(わた)」は、平安時代から宮中で営まれたもので、重陽の節句前夜、菊の花の上に真綿をかぶせると翌朝には夜露と菊の香りが染み込み、その真綿で身体を拭いて無病息災と不老長寿を願ったのもので、京都を中心に伝承されてきた。

暮らし・まちを彩る年中行事

京都には、五節句や二十四節気、雑節にまつわる行事のほか、一年を通じ、家庭や地域、社寺など、まちのいたるところで様々な年中行事が行われている。いずれの行事にも深い意味があり、人それぞれに願いを込めて行事に参加する。

一年が始まる正月には、過ぎ去った年の災厄を祓い、新たな年の幸せを願う。旧暦の大晦日となる節分には、豆まきをして厄を祓い、社寺ではその起源とされる追儺(ついな)という鬼を祓う儀式が、花街ではお化けという仮装の風習が行われる。6月と12月の末日には、半年の厄を祓い、次の半年を無病息災で過ごせるように祈願する大祓(おおはらえ)があり、6月は夏越(なごし)の祓、12月は年越の祓とも呼ばれる。夏越の祓には水無月を食べるのが京都の風習である。

京都の代表的な祭りである園祭は、京都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、災厄の除去を祈った御霊会(ごりょうえ)を起源とする。また、数多くの大火を経験した京都では火伏せ信仰が広がり、7月晦日夜から翌朝にかけての愛宕山は千日分の功徳があるとされる千日詣を行う参拝者で賑わう。一方、太陽の光が最も弱くなる冬至の頃になると、古代から続く太陽復活の行事とされ、無病息災などを祈るお火焚きが町々や各社寺で行われる。

春秋の彼岸に先祖の霊を供養するとともに、盆には先祖の霊をお迎えし供養した後、庭先などで送り火を焚いて、あるいは五山の送り火に手を合わせて先祖の霊を送り、冥福と家内の無病息災を祈る。盆が過ぎると子どもの健全な育成と町内安全を願って各町内で地蔵盆が行われる。子どもの健やかな成長を祈る行事としては、七五三のほか、京都独特の行事として十三まいりがある。十三まいりとは、数え年13の子どもが智恵と福徳を授かりに参詣することで、帰路の渡月橋で振り返ると、授かった智恵を失うと伝わる。

京都の各社寺では、五穀豊穣や天下泰平を祈願する行事や、神道、仏教の教えに由来する行事が年間を通じて行われており、氏子や檀家だけでなく、市民や観光客にも親しまれている行事も多い。五穀豊穣を祈願したことに始まり、平安時代から勅祭として知られた葵祭は、祭儀のひとつである路頭の儀で多くの観客を魅了し、平安京遷都千百年の奉祝行事として始められた時代祭は、風俗行列で京都の歴史をしのばせる。また、社寺の縁日などには、天神さんや弘法さんのように、境内や門前で市(いち)が開かれることや、献茶祭などの祭事が催されることがある。

人々はこうした年中行事に参加し、家族や友人、地域の人々と毎年同じ時期に同じような経験を共有することで、家族や地域などの絆を深め、それぞれの人生を豊かにしていると言える。

京の年中行事

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