改暦と年中行事
明治5年(1872)にいわゆる明治改暦が行われた。旧暦または陰暦と呼ばれる、太陰太陽暦(太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦法のこと)に替わって、太陽暦が採用された。
旧暦からの伝統を、新暦のなかでどう行っていくのかは、年中行事にとって大きなテーマであり、葛藤が続いたが、いろいろな工夫を重ねた結果が現在の年中行事である。
具体的には、新暦への移行により、季節が約1か月早くなるため、年中行事が本来の季節からずれてしまい、その時期に行う意味が薄れてしまうものが多数存在した。そこで、暦の上での日付を1か月遅らせることにより、旧暦の時代の季節から大きくずれないようにする方法、つまり月遅れとしたものが多い。月遅れの代表的なものにお盆があり、旧暦7月15日のお盆は、京都でも月遅れの8月15日に行われる。
一方、五節句などの日付に意義がある行事では月遅れはほとんど採用されず、時期が大きくずれた状態になっている。端午の節句に、邪気祓いの薬玉(くすだま)を柱などに掛けるのは、元々梅雨の季節である旧暦5月が、ものが傷みやすく、病気になりやすい月であるためといわれる。また、七夕は元々梅雨明け後の旧暦7月7日に行うものであり、お盆直前の行事であった。新暦では、梅雨の季節となり、天の川を眺めるには不向きな時期にあたる。なお、平成22年から旧暦7月7日にあたる8月に「京の七夕」が市内各会場で行われ、いまでは夏の風物詩として定着している。
生活の変化と年中行事
生活様式の変化は、年中行事の有り様に影響を与えている。
例えば、町家では、旧暦の6月1日に建具替えを行う風習がある。建具替えとは、身の厄や災いを祓う夏越の祓の一環として、住まいの塵や埃を清め、建具は夏用の葦戸(よしど)に替えることであり、軒先に簾(すだれ)や葦簀(よしず)を吊るし、座敷には網代(あじろ)や籐(との)筵(しろ)を敷き詰めるなどして、夏のしつらえに整える。しかし、町家が現代的な建築物に建て替わっていくのに伴い、年中行事としての建具替えも減少している。
また、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)にちなむ地蔵盆は、現在は人が集まりやすい8月中下旬の土日を中心に行われることが多い。子どもの減少や職住分離をはじめとする生活様式の変化などにより、行事自体が簡略化・衰退しているところも増えてきており、社会の変化によって年中行事の有り様が大きく影響を受けている例と言える。
私たちの生活を支える産業と年中行事の結びつきも強い。
例えば、年末になると京都の店舗には、正月の雑煮をつくるための白味噌や丸餅、えび芋などが所狭しと並ぶ。地域特有の行事で用いる食物や用具などは、その地域の店舗が特別に誂えている場合も少なくない。
また、産業面の需要から変化する年中行事もある。京都発祥ではないが、節分に恵方巻きを食べる風習は、産業界が仕掛けた節分の行事として有名である。京都では、鴨川の納涼床が一例で、江戸時代には、園祭の先の神輿洗いの翌日から後の神輿洗いの前日まで(旧暦6月1日から17日まで)という決まりがあった。これは、その間は鴨川の神が神輿にのって不在となるため、川床で飲食してもいいという考えが背景となっているが、いまでは、ニーズの高まりもあり、5月から9月まで設けられている。
季節とともに一年を彩る年中行事は、人々の暮らしに寄り添いながら時代とともに変遷しているのである。